私たちは「普通」という言葉をよく使う。
普通のUI
普通のユーザー
普通の操作方法
しかし、その「普通」は誰が決めたのか。
多くの場合、それは 設計者自身の経験である。
自分が見やすいもの、自分が理解しやすいもの、自分が使いやすいもの。無意識のうちに、それが標準だと思ってしまう。
この現象を説明する概念が アンコンシャス・バイアス(無意識の偏り) である。
デザインの失敗は、派手なミスから生まれるとは限りらない。
むしろ多いのは、「自分なら分かる」 という前提である。
初期設計が右利き前提になっているアプリは少なくない。左利きユーザーは、毎回指を伸ばして操作する必要がある。
若い開発者には問題なくても、高齢者にとっては押しづらい。結果として「使いにくいサービス」になる。
赤と緑で状態を区別するデザインは、色覚特性によって判別しづらいことがある。
どれも悪意はない。
問題は、「普通のユーザー像」が固定されていることだ。
駅のサインデザインは、実は「普通」の罠が見えやすい領域である。
次のような前提が入り込みやすい。
前提 | 見落とされる人 |
漢字が読める | 訪日外国人 |
小さな文字が読める | 高齢者 |
色で区別できる | 色覚特性のある人 |
階段移動ができる | 車椅子利用者 |
最近の大規模駅では、ピクトグラム、英語表記、大きな文字、エレベーター導線などが強化されている。
これは単なる「配慮」ではなく、利用者全体の体験を改善する戦略である。
多様な利用者を前提にすると、結果的に全員にとって分かりやすくなる。
これがインクルーシブデザインの重要な発見である。
この話は公共デザインだけではない。
企業の業務システムでも同じである。
専門用語だらけの画面
説明書がないと操作できないUI
入力ミスが起きやすいフォーム
設計者には理解できるため、問題に気づきにくい。
しかし利用者は毎日迷い、ミスし、問い合わせを行う。
結果として、業務コストが増えてしまう。
つまり「普通」の幻想は、UXの問題 であると同時に、経営の問題でもある。
近年、成功している企業ほど「普通」を疑っています。
VoiceOver、拡大表示、音声操作など、多様な利用者を前提にした設計を継続
年齢・性別に固定されないモデル起用や幅広いサイズ展開により、「誰のための服か」を拡大
職業・地域・属性を問わず発信できる場を設計し、「書き手の多様性」を確保
共通するのは、単一のユーザー像を前提にしていないことである。
これは倫理の話だけではなく、市場を広げる戦略と捉えることもできる。
ユーザー視点というと、「ユーザーの立場に立つこと」と説明されがちである。
しかし本質は少し違いう。
本当に難しいのは、自分の前提を疑うことだ。
自分にとって自然な操作が、他人にとっても自然とは限らない。
自分にとって分かりやすい言葉が、他人にも分かりやすいとは限らない。
優れたUXリサーチが行うのは、「ユーザーを観察すること」だけではない。
設計者の思い込みを発見することでもある。
ユーザーを観察する
設計者の思い込みを発見する
見えていなかった前提を更新する
「普通」という言葉は便利である。
でも、その便利さは、ときに視野を狭くするときがある。
デザインの進化は、多くの場合、「それ、本当に普通?」 という問いから始まる。
その問いが、見落としていたユーザーを発見し、新しい体験を生み、結果として新しい価値につながる。
つまり、ユーザー視点とは「みんなの立場に立つこと」ではなく、自分の前提を疑い続けることなのかもしれない。
そして、その疑問こそが、次のイノベーションの入り口になる。
次は、実践のステージへ。