夏には、不思議な力がある。
青い空。入道雲。風鈴。ラムネ。夏祭り。夕暮れ。
どれも現在の風景のはずなのに、目にした瞬間、どこか「昔」を感じる。
最新のスマートフォンで撮影された夏祭りの写真でさえ、提灯や浴衣、花火が写っているだけで、少し懐かしく見えることがある。
なぜ私たちは、まだ目の前にあるものに「懐かしさ」を感じるのだろうか。
そこには、デザインと記憶の興味深い関係がある。
夏を象徴する音楽のひとつに、井上陽水の「少年時代」がある。
この曲を聴くと、夏の夕暮れや田園風景、遠くから聞こえる蝉の声のような情景を思い浮かべる人もいるだろう。
興味深いのは、それが必ずしも「実際に経験した風景」とは限らないことである。
行ったことのない田舎。
経験したことのない時代。
自分が生まれる前の風景。
それでも、なぜか懐かしい。
私たちが「記憶」だと思っているものは、自分自身の経験だけでつくられているわけではないのかもしれない。
映画。
音楽。
漫画。
広告。
写真。
家族から聞いた昔の話。
誰かがつくった表現に繰り返し触れることで、それらは自分自身の経験と混ざり合っていく。
そしていつの間にか、「記憶のようなもの」になっていく。
デザインにおいても、ノスタルジーは頻繁に使われる。
フィルム写真のような質感。
昔の看板を思わせるタイポグラフィ。
レコード。
純喫茶。
ブラウン管テレビ。
しかし、単純に古い表現を再現すれば、人の心が動くわけではない。
重要なのは「古いこと」ではなく、
その表現が、その人の記憶と接続すること
である。
だから同じデザインでも、ある人には懐かしく、別の人には新鮮に映る。
ノスタルジーとは、デザインそのものが持つ属性ではない。
見る人の記憶との間に生まれる感情なのである。
デザインの世界では、常に「新しさ」が求められる。
新しいUI。
新しいブランド。
新しいプロダクト。
新しい表現。
しかし、新しさだけを追い続けると、皮肉なことに似た表現が増えていくことがある。
その時代の「新しい」には、共通する技術やトレンドが存在するからだ。
一方、その企業や人が積み重ねてきた記憶は、コピーすることが難しい。
創業した理由。
大切にしてきた価値観。
昔から使われてきたもの。
顧客とのエピソード。
失敗。
こだわり。
こうしたものは、一見すると「古いもの」である。
しかし、そのブランドにしか存在しないという意味では、非常に強い固有性でもある。
だからこそ、
新しさ × 記憶
という考え方が重要になる。
すべてを新しくするのではない。
過去をそのまま再現するのでもない。
何を残し、何を変えるのかを設計する。
そこに、そのブランドにしかつくれない新しさが生まれる。
この考え方は、AIによって制作環境が変わりつつある現在、さらに重要になる。
画像をつくる。
文章を書く。
Webサイトをつくる。
さまざまな制作行為が、これまでより速く、容易になっていく。
完成物だけを見たときの差は、今後さらに小さくなる可能性がある。
だからこそ、
なぜ、この形なのか。
なぜ、この色なのか。
なぜ、これを残したのか。
なぜ、これを変えたのか。
という「理由」の価値が高まっていく。
デザインの価値は、完成物だけではなく、その背後にある判断にも存在する。
そして、その判断には、その人がこれまで見てきたもの、経験してきたこと、考えてきたことが反映される。
つまり、デザインの中には、その人自身の「記憶」が存在している。
デザインは、現在の課題を解決するためにつくられる。
しかし、その役割は現在だけにあるわけではない。
今日つくられたWebサイトが、10年後には「昔よく見たデザイン」になる。
今日つくられた商品が、いつか誰かにとって「子どもの頃に使っていたもの」になる。
今日撮られた夏祭りの写真を、まだ生まれていない誰かが見る日が来るかもしれない。
そして、その人がそこに「懐かしさ」を感じる可能性さえある。
そう考えると、デザインとは不思議な仕事である。
私たちは現在のためにデザインしているようで、
未来の誰かの「懐かしい」を、今日つくっているのかもしれない。
井上陽水の「少年時代」を聴きながら夏を思い浮かべるように。
誰かが今日つくったものもまた、いつか誰かの記憶になっていく。
それは、デザインが持つ最も静かで、長い力のひとつなのではないだろうか。
FeatU編集部では、これからもデザインとビジネスをつなぐ視点から、新規事業開発、サービスデザイン、ブランディングについて発信していきます。
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次は、実践のステージへ。